OB通信№14 現役生に期待す!

 あけましておめでとうございます。
 新春をつつがなくお迎えのことと思います。
 OB会活動お世話になっております。現役諸君に一筆啓上いたします。
 渡辺、柿沼両先輩の指導を受けた年代ですが、現在と同じように強いチームではなかった。私が4年生の時に、米国のバスケットボールチームの監督が書いた一冊の書物が目に留まり、あることに気付いた。競技スポーツは、どのような目的を行うのか、如何に取り組むべきなのかということを。今でこそ三位一体(技術、体力、メンタル面)の強化を求めているが、決まった事を繰り返すだけでは進歩のないことを学んだ。このことは、私の人生に大きく影響をしている。
 例を挙げたい。ゴルフでは、初ラウンド97ストローク。一年後に30台が出た。県アマ選手権4位。県市町村対抗選手権では残念ながらプレーオフで2位。プレスCC(安中市)倶楽部選手権獲得。桐生CC(桐生市)では3回獲得できた。こころの部分では、武道の先生や僧侶との会話から学ぶことが多かった。
 現在、みどり市の市議会議員(4期目)をしている。
 前年度は、国民宿舎サンレイク草木の公金管理に疑問を抱き、市長と議長に随意監査権を請求し、調査追及、多くの不正を明らかにした。今年度は、以前から業者との癒着の噂があった水道企業団(現みどり市水道局)の不正を明らかにすべく調査追求を続け、9月定例議会で市政を質した。報道でご存知の方もいるかと思うが、警察が動き11月12日3名の逮捕者が出た。誤解があっては困るので述べておくが、これらの一連の調査追求は、免職者や逮捕者を出すことが目的ではなく、不正行為の抑止力に、また自浄作用の持った組織になって欲しいという一念から行ったものである。
 これらは経大バスケットボール部の時に得た取り組み方を実践に活用した結果です。いまこの日本は歪んでいる。現役諸君にお願いしたい。是非母校のために、日本のために貢献できる人材になっていただきたい。こころからお願いする。 
                       還暦1年生の先輩より(昭和44年卒 荻野 忠)

OB通信№13 秋季北関東五大学リーグ観戦記

秋の北関を観戦して
 3年生の諸君3年間ご苦労様でした。1年生の時からスタメンで頑張って来た選手も多く、久しぶりに優勝が期待できるチームと思っていたが、最後の北関が1勝で終わり残念だった。私以上に3年生の選手諸君も残念だったと思う。これからは2年生を中心に新チームとなるが来年は頑張ってほしい。
 度々試合を見せて貰ったが、決して高経の実力は低くない。北関参加各チームの実力は伯仲しているがなかなか飛び出せない。現に高経は毎試合前半は互角、又はそれ以上の戦いをしている。しかし後半になると追いつかれ、逆転されるケースで負けている。さらに同日の2試合目になるとで大負けをするパターンが多い。デイフェンス力の低下、シュートの確率の低下が顕著に現れてくる。一言で言えば体力の無さが最も大きな原因である。
 今シーズンの試合もオフになったと思う。新チームの諸君は来年度に向けて体力を付ける練習が必須である。3年生が抜けた新メンバーは正直なところ大きな戦力ダウンは免れない。今のままでは来春の北関で1勝も出来ない羽目になる。そのためにも1日2試合を戦える体力を養成してほしい。体力強化の為には十分な走り込みが最も有効だ。一通りの練習が終わってから後10分以上走り込んで欲しい。練習後の走りこみはかなりきついが、これが来年春の北関までにはかなりの体力の増強になるはずだ。最後にシュート力を付けること。北関5チームの中で最低のシュート力に思える。3ポイントシュートなどまぐれで入ったと思い、各自が確率をあげる方法を考えながら自分で自信を持てるようなシュートが打てる練習をして欲しい。
 体力アップ、シュート力のアップが出来れば新チームも今年以上の成績を上げることは可能だ。来年の新チームに大いに期待しているので頑張って欲しい。
 新キャプテンにお願いしたい。自信を持ってリーダーシップを発揮しチームを引っ張って行って欲しい。 
 女子部も同様にまずは体力の強化からトライして欲しい。
 来年も応援に行くので良い試合を期待しています。   (昭和44年卒 横山一男)           

OB通信 №12「後輩へ、伝えたい『心・体・技』」を読んで

 7月4日付け、朝妻君のOB通信を読んだ。柿沼会長から4年間の総括を書くように言われたとのことで、ずいぶん長いなと計算してみると4,800字あった。原稿用紙12枚という朝妻君の“努力”に対して、何かコメントしたいと思った。
 まず何よりも、彼が入部して、連戦連敗のチームをキャプテンとして鍛え上げ、安定した強いチームにして高経の伝統をつくろうとした心意気は良く、我々OB会が望んでいる思いと重なるということである。一時期は良き指導者がいて、学生も頑張り、“北関東6連覇”という偉業を成し遂げた時代もあったわけだから。
 そして、近年の低迷に対して「現役が強くなければOB会も活性化しない」と会長が千葉から高速を乗り継いで、高崎まで通いの強化指導を始められたのが3年前のことである。現在は、その指導を受けて卒業した地元の若手OBがその志を継いでいるが、そこにはやはり大きなエネルギーが必要とされることはいうまでもない。
 OB会として、学生に対する物心両面の支援は何も近くにいる者だけの行為でなく、各地にいるOB・OGの思いが一つになってはじめてできることである。そこはぜひ理解して、できるだけたくさんのOB・OGがOB会活動に参加してほしいと願う。若いうちから仕事をして、OB会など他の活動もすることは“カッコいい”ものである。朝妻君は、キャプテンとしての1年間の経験を通して人間関係や組織運営の難しさを痛感し、また人間として成長できたと思うと言っている。良きOBとなることを期待したい。
ところで、今度の7月の総会は、私は申し訳ないが欠席させていただく。団体組織の会費に含まれる新聞の編集などの仕事をしてきて、3年前に定年退職して移った今の会社は医療関係の出版業。強気で売れるだろうと多目に刷った新刊本は在庫の山で、これに関連した仕事が28、29日と入ってやむを得ず欠席、というのが近況である。
 今年のOB・OG戦は第二回フリースロー名人戦と、新しく出身高校別の東西対抗戦もやるという。張り切りすぎて、怪我しないよう頼みたい。懇親会は現役全員を入れて学生食堂でやるという、画期的なことだ。若いOBたちがアイデアを出して、実現させた。来年以降はまた、元気なOB・OGや学生たちに会うことが楽しみな会になりそうだ。
                                   (昭和43年卒・西沢孝洋)

OB通信vol.11 後輩へ、伝えたい「心・体・技」 朝妻裕介

<a href=”http://WWW.takakei-basket-ob.com/blog/archives/asazuma2.jpg”><img alt=”asazuma2.jpg” src=”http://WWW.takakei-basket-ob.com/blog/archives/asazuma2-thumb.jpg” width=”201″ height=”300″ /align=right></a> この度、柿沼会長より高崎経済大学バスケットボール部での四年間の総括を書く場をいただきましたので、素直な気持ちを書かせていただきたいと思います。
【入部して、チーム目標の必要を感じたこと 】
 私は大学四年間勉強もほとんどせずバスケ漬けの日々を過ごしました。バスケから学んだ事は山ほどあります。寝ても覚めてもバスケットの事ばかり考えていました。そんな私ですが、新潟県立巻高校時代、かなり厳しい練習をするところだったので大学ではバスケット部に入るか少し迷っていた事を覚えています。入部したきっかけは、最初の見学の時に練習がきつくなかった事とたった週4回しか練習がなかった事です。高校時代はお盆も正月も休みなく練習する部活でした。なので、気軽!?な気持ちで入部しました。また、仮入部してすぐの春の北関をスタメンで試合に使ってもらったというのも入部せざるをえない理由でした。私が1年生の頃はあまり走るような練習もしていなかったし、目標も明確でなく、チームはまとまりがなっかたように思います。その頃は一年を通してほとんどの試合を負け通したと思います。北関などは負けるのが当然で勝てるとか、勝とうとは誰も考えていなかったと思います。少なくとも私はそう感じていました。どうして、もっと本気になってくれないのか。部活ではないのかという思いでいっぱいでした。試合をする以前のチームとしてのモチベーションの低さがありました。この時のどん底の悔しさがチームを一から作り上げようと決意したきっかけでした。負けに負けて、いつの間にか本気で強くなりたいと思っている自分がいました。失うものなど何も無い、一からの挑戦です。卒業までに、上を見据えて戦えるようなチーム作りが目標となりました。  
【キャプテンとしての戦い】
 2年生の秋、私はキャプテンになり本当の戦いが始まりました。自分が最上級である短い期間に高経の伝統となるものを作ろうと思ったからです。当時プレイヤーは9人で、チーム力は低く6部(当時関東リーグは7部まで)での残留すら厳しいのではないかという状況でした。しかし、私の目標はあくまでもっと上をめざしていました。私は夢を見すぎです。けれども、それくらいに上を見上げなければ、今所属しているリーグに目標を合わせてしまってはそこで満足してしまうからです。なぜなら、出来る事を目指すのは目標ではないからです。最低でも一年で北関優勝を果たしたいと考えていました。私はとにかく徹底的に足を鍛える練習をしました。技術でも高さでも選手層でも劣るとなれば、相手の倍オフェンスの回数を増やすしかないと考えました。相手が一回で決める所をうちは二回かかるのだから単純に2倍の走力が必要になります。また、技術面でも、ボールの扱い方は勿論の事、ターンの仕方、足の運びなど基礎からやる事にしました。また、シュート練習を自主練習としました。私の考えでは、全員がせっかく集まって練習しているのだから全員が集まらなければ出来ない事をやるべきと考えたからです。シュート練習は1人でも2人でも出来ます。大学生にもなって基礎からかと、みんなも思っていたでしょうし、そして私も思っていました。しかし、馬鹿にしている基礎が出来ていないのだから、遠回りでもやるしかありませんでした。これらの動きはバスケットの全ての鍵を握るからです。更に、チームとしての決め事です。時間を守る(1秒を争うスポーツをしているのだから当然)、集合は全力ダッシュ、メニューとメニューの間は次の練習の準備及びダッシュで移動、声を出す、何でも伝えあう(コミュニケーションはスポーツでは絶対条件。声無しではスクリーンさえかわせない)、ミスったら全力で戻る等ここで挙げたのは一部ですが、読んでいる方は至極当然の事と思われていると思います。しかし、当然の事が出来ないから弱いという事だと思います。幾名かの反対(大学生らしくそこそこやれればいい)を押し切り、自主練習なども半強制で始めました。チームをまとめるものとしての感想ですが、一年間これらを言い続けて選手達がやってくれた事は自分の理想の20%くらいです。とにかく、言った事や決めた事を実践してもらえませんでした。頑張ってないとは言いません、頑張っていたと思います。ですが、チームの今の現状と目標までの距離を考えたら、血の滲むくらいでは済まない練習が必要でした。最初に決めた目標にチーム一丸となって向かっていなかったのだと思います。特にその春に新しく入った新入生達は、そこまで考えるのは到底無理だったと今になって反省しています。じっくりと話し合い、私の考えを伝えてからチームに入ってもらうべきでした。
【連戦連敗の日々の悩み・焦り】
 そして、シーズンインしましたが前期は連戦連敗でどん底でした。練習ではピリピリとした緊張感は多少ありましたが、逆にチームに元気が無く、雰囲気も悪かったと思います。勝てない責任を全て自分のせいだと感じていました。チームの決め事や課題も徹底されず、ここまで結果が出なくてはどうしたらいいのだろうと行き詰まり、かなり焦っていました。本当に悩んで考えました。高校時代の監督にも自宅まで伺い相談しました。どうやったら強くなれるか。選手達が強くなろうと思ってくれるか。けど、自分が強く求めても反発を生んだりと八方塞がりでした。そんなとき、ある日気付いたのですが、私は一人でバスケットをしていたのだと思います。考え抜いた結果、私は多少の路線変更をすることにしました。
 夏休み明けから、うるさく言わない事にし、ある程度選手の成長は自分達に任せる事にしました。決め事は決まっているので、やるかどうかを本人達の判断に任せました。試合で負けて悔しい思いをして、自分から練習しようと思ってくれなければ、やらされる練習だからです。私はそれでやってくれなくて勝てなかったらと思いましたが、責任は全員にあるのだということに気付きました。そう考えたら、気持ちも楽になり、気持ちに余裕ができ、自分のプレイも良くなった気がしています。その責任の内の半分はやはり私ですが、全員が負けを強く意識してほしいと考えました。しかし、結果として言うと、余計にチームはだらしなくなりました。逆に雰囲気は明るくなりました(よくなったとは言いません。練習中笑いばかり起きるような雰囲気です)。関東リーグ中でしたし、勝ち続けていたので、だらしない雰囲気に喝を入れることが出来ませんでした。まとめる側は頭が痛いところです。関東リーグは全勝で6部優勝を果たし、北関でも10年ぶりとまで言われる3位入賞を果たしました。意外にも多少の結果が出てしまい、やってきた事や試行錯誤した事その全ては間違いでは無かったのかと思いました。しかし、正直、伝統となるだろうものを完全にたたき込むとは行かないまま私のキャプテンは終了しました。ここで中途半端をした事を今も後悔しています。一年間のキャプテンを通じ、人間関係、組織運営の難しさを痛感しました。大勢の目標を一つにする事、選手のモチベーションを高める事、ただ厳しければいいとは限らない事。結果を出す方法は一通りではない事。人間としてとても成長できたと思います。
【後輩への思い】
 4年生になってからはあまり口出しをせず、完全に後輩にチームの方針を任せました。自分の作った決まりを伝統にしていくのは後輩達だからです。私は、本当にひどい時に喝を入れるくらいに控えました。しかし、やはり私が徹底しきらなかったせいですぐにそれは無くなっていき、一年間ほとんどチームとしての成長無く終わりました。これは、後輩の幹部学年を責めるのではなく自分の責任であると感じました。キャプテンの時の中途半端さと、4年次に後輩達に任せっきりにした事です。4年で上が誰もいない状況で、もっと自分のしたい事を押し通せたはずと今になり思います。今のままでは安定して毎年強いチームである事や、ましてや飛躍的にのびることができないでしょう。バスケットをするのは現役選手達です。彼らが悔しいと思い、彼らなりの方法で勝てる道を探していくしかないと考えます。本人達の目標がどこにあるか、が問題です。ほぼ丸四年間現役でプレイし一緒に戦った後輩達には本当に強くなってほしいと願っています。そして、何年後か少しでも私(や一緒に頑張ったチームメイト)が残した魂や練習が後輩達に受け継がれていたらと思います。
 四年間大学でバスケットをし、思った事は部活とは何かという事です。プロではないので活躍しなくても解雇はありませんし、逆に給料が貰えるわけではありません。よって、色々な意識レベルの人がいるという事です。強豪校ではある程度意識の高い人の集まりですが、弱小校ではバスケもしたいし遊びたいという人もいます。しかし、それを咎める事が出来ない状況が部活です。輪を乱すようなら辞めてほしいとも言えますが、それが大多数ともなれば部として成り立たなくなるので非常に難しいです。大学生は勉強が本分というのは当然ですし、バスケに懸けるかどうかというのは本人次第という事が身に染みました。幾人もの想いが交錯し、チームが一つになる事がどれだけ困難か。人間とは本当に難しい生きものです。チームのまとめ方は十分に理解できなかったが、人の気持ちを動かす難しさがわかりました。私は大学四年間バスケットに全てをかけました。けれども、後悔はないです。真剣に悩み辛かった記憶も多いですが、その分よい思い出も沢山出来ました。精一杯バスケットに打ち込める環境を作ってくれた両親、OBの方々、その他応援してくださった大勢の方に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。これからも是非高崎経済大学バスケットボール部を応援していただけたらと思います。
<a href=”http://WWW.takakei-basket-ob.com/blog/archives/asazuma1.jpg”><img alt=”asazuma1.jpg” src=”http://WWW.takakei-basket-ob.com/blog/archives/asazuma1-thumb.jpg” width=”237″ height=”300″ /align=left></a>【後輩へ、伝えたいこと】
最後に現役選手達、一緒に戦った現4年生へ。厳しい言葉ばかりをかけてきましたが、本当によく練習につきてきてくれたと思います。入部したては、嘔吐した人もいたと聞きました。普通ならとっくに辞めてしまうような厳しい練習でも最後まで頑張ってくれました。入部した頃とは見違えるような成長をしたと思います。毎日自分の納得のいくまで練習してください。自分の目指すものに向かって努力してください。大学はとかくダラダラ過ごしがちですが、何か一つでも自信を持って打ち込める何か、見つけてください。スポーツは結果が全てです。しかし、そこに向かって努力した事は決して無駄にはならないと思います。4年、3年、2年、新しく入った1年生の全員に期待しています。正直なところ、私としては、この四年間の強い想いを後輩達に引き継いでほしいと願っていますが、ここまで書いたようにバスケットをするのは君達です。負けて悔しいのも君達です。これからの高崎経済大学バスケットボール部を作っていくのも君達です。私が厳しい練習をしてほしいと押しつける事は決して出来ません。けれど、本当に期待しています。頑張ってください。最後に、この言葉を贈ります。それは、「心・体・技」です。心技体が一般的ですがそれとは違います。まず、心が強くなければならない。どんな苦しい局面でも、厳しい練習でも折れない強い気持ちを作ること。それが土台となり、身体を鍛えること。心が強くなければきついことから逃げてしまう。そして、体が技より先に来ている理由ですが、どんな技術も疲れ果てて動けなければ発揮できないということです。体力とは集中力です。無尽蔵の体力の上に、誰にも負けない技術、そしてそれを支える強い気持ち。これが、よいプレイヤーの条件だと思います。  朝妻裕介(平成19年卒 元主将)

OB通信 vol.10 顧問・会長「犬山サミット」

 犬山に集い、長老3人がハッスル。
<a href=”http://WWW.takakei-basket-ob.com/blog/archives/200706summit.jpg”><img alt=”200706summit.jpg” src=”http://WWW.takakei-basket-ob.com/blog/archives/200706summit-thumb.jpg” width=”225″ height=”300″ /align=right></a>
 昨年に続き、6月初旬犬山に集結。渡辺顧問(京都市)、柿沼(千葉市)が愛知県犬山市に住む松井邸に宿泊し、木曽川鵜飼・犬山城見学とゴルフで交流した。
 話題はもっぱら「高経バスッケト」で、愛好会から部昇格とか北関東5大学リーグ入り、さらに5人での夏合宿をご当地犬山でやったことなどなど。
 柿沼からは現役の活動状況や総会準備・事務局運営の報告と諸々の課題につき意見交換した。
やっぱり最後は現役の活躍・・男子部は関東リーグ4部昇格と群馬リーグ再挑戦、女子部は存続できた以上は一つでも勝つことを目指してほしいということで意見一致をみた。
<a href=”http://WWW.takakei-basket-ob.com/blog/archives/200706summit1.jpg”><img alt=”200706summit1.jpg” src=”http://WWW.takakei-basket-ob.com/blog/archives/200706summit1-thumb.jpg” width=”300″ height=”225″ /></a>
両顧問の意見を総会運営にプラスにしたいし、来るべき40周年記念総会を盛り上げて生きたい。                       (OB・OG会会長 柿沼良助)

OB通信 vol.9 「北海道より」

遠く北海道よりメールしています。 
19年度の総会には、残念ながら諸般の事情で出席出来ません。
設立40周年記念行事は、極力実施した方がベターと思います。
後日、遅くなりましたが、会費などを送金したいと思っています。
現役の活躍は、辺境の地で暮らす?小生にとって、爽やかな精神飲料剤です。
勝負に勝つ事は、絶対に大事ですが、負けた場合のその後の対応が、行動が、社会に出た時に多いに役立ちます。失敗のない成功はない。!!
現役・OB/OGの活躍を・・・・・・
北海道に十勝(帯広方面)に来た際は、是非、ご一報下さい。
広いワンフロアーの高級カラオケ・サロンで歓待いたします。
尚、本メールにて、葉書での返信は割愛させて頂きます。
 (47年卒 小笠原 等)

OB通信 vol.8 「40年前の写真を見て」

 先日の1月20日、東京・神田でOB会役員会を開いたとき、横山理事(昭和44年卒)が「皆が出ている写真があったので持ってきた」と言うので見てみると、当時の体育館を背に1年生から4年生までの部員が写っていた。ちょうど40年前、昭和42年のときの写真であるが、懐かしい顔もあり、特に音信不通の者の思い出話になった。
 写っている人物の名を、その場にいた者で当てたのが次の者たちである。残念ながら名前の分からない者が何名かおり、これは1年生で途中退部したものではないかという話になったが、当日欠席だった竹尾理事(46年卒)がいれば全部分かった話かもしれない。
<a href=”http://WWW.takakei-basket-ob.com/blog/archives/photo20070201-10.jpg”><img alt=”photo20070201-10.jpg” src=”http://WWW.takakei-basket-ob.com/blog/archives/photo20070201-10-thumb.jpg” width=”284″ height=”200″ /></a>
写真・上列左から、横山一男(3年)、増田政史(3年)、1人おいて沖野博幸(1年)、山本彰(3年)、荻野忠(3年)、1人おいて山野泰義(1年)、小林克己(3年)
中列左から、竹尾保利(1年)、中嶋博(2年)、1人おいて沖田純夫(1年)
下列左から、篠森喜一郎(3年)、岡田美喜雄(1年)、1人おいて中山伸二(4年)、西沢孝洋(4年)、そして右端。
 この写真を見て、3年の山本彰と4年の私(西沢)が分からないという者がいた。現在の体型と頭髪から想像できないという失礼な後輩である。自分の巨腹を棚に上げてと思ったが、その後輩は学生のころからそうだそうで、私はそのころの彼を知らない。
 ところで、この会に女子部コーチの安井純一君(平成18年卒)が太田から来て、今の4年生が卒業する後の新年度は、新人を2名以上確保しなければ部存続の危機だと言う。昨年はせっかく部結成以来の初勝利を挙げ、ビデオカメラ購入も支援したというのに、もったいない!
他のことはともかく、女子部員の新人勧誘についての協力はOBとしてもむずかしく、ここは男子部の“いけめん”君の力を借りて、勧誘してもらおう、昔の写真の中にもそれらしいのがいるのだから、という話で盛り上がった。
                                    西沢孝洋(昭和43年卒)

FIBAバスケットボール世界選手権 観戦記(その2)

 この度は世界選手権を観戦する機会を与えて頂きありがとうございました。
 まだ私は一年ということで高経のバスケットに入りきれていないと思います。そんな中、試合に出場する機会を与えられチームのためにプレイできることを嬉しく思います。ですが、やはりバスケットには完璧というのは存在しないので、チームに足りないことを今回の観戦を通して実感しました。
 特に体のぶつかり合いというところではどの国も激しくぶつかって当たり前、ファウルされても当たり前にシュートを決めてきていました。この部分に関してまだチーム全体がファウルをもらいにいくだけだったり、相手に力負けして逃げるようなシュートになっていると感じています。
 ガードは特にもっと相手のディフェンスを割っていくようなドライブを相手と競り合いながらも果敢にしなければならないと思いました。またスクリーンの確実性が世界のバスケットは違っていました。しっかりとスクリーンがかかっているので次のオフェンスの展開がスムーズにいきパスがよくまわり、良いシュートが打てるシーンをたくさん作ることができていました。
 これは今の高経のように、インサイドの強いチームがスクリーンをもっと巧く使えるようになればアウトサイドとの連携が広がり、もっと楽に得点できるのではないかと思います。
 これからは、今の勝てるようになってきたという現状に満足せず、チーム内でのコミュニケーションを増やして日々の練習に励み、更に上のレベルを目指し精進していきたいと思います。                        (一年 須田 直樹)

FIBAバスケットボール世界選手権 観戦記(その1)

 この度世界バスケットボール世界選手権の観戦という貴重な機会を与えていただきありがとうございました。日本で行われた世界のバスケを生で観戦でき、とても良い経験ができました。
 今回の観戦で今の高経にも必要となるプレーが数多くありました。特に正確なスクリーンプレーです。一人一人がスクリーンをうまく使い、フリーを作っていました。その他にもディフェンスからオフェンスへの素早い切り替えや、徹底して相手を押し出すスクリーンアウトなど見習うべきところがたくさんありました。
 こういった稀な機会で得た事をこれから行われる数々の試合にに向け、日々の練習に大いに活かしていきたいと思います。                 (二年 遠藤修平)

OB通信 vol.7 FIBAバスケットボール世界選手権

 この世界選手権はFIBA(国際バスケットボール連盟)に加盟する212の世界の国と地域から世界一を決する大イベントで、1950年から4年に1度開催されています。今大会は28年振りのアジア開催で日本がホスト国として8月19日~9月3日に行なわれました。
 日本で世界の一流選手のプレーを見れる機会はそうそう無いので、柿沼会長に現役の選手らに観戦するよう勧めた結果、OB会から現役にファイナルラウンド観戦チケットのプレゼントが実現した次第です。
 私は、アメリカチームのいるDグループの試合が行なわれた札幌会場で3日間ボランティアでインフォメーションを担当し、今更ながら語学力の必要性を痛感しました。ご褒美にアメリカ-イタリア戦のペアチケットを頂いたので、同期の小笠原等(昭和47年卒)と共に観戦しました。94-85でアメリカが勝利。アメリカ選手の3ポイントエリア付近からの強いプレスディフェンスでイタリア選手は中に入れずてこずっていたのが印象的でした。2mを超える長身選手の俊敏な動きと協力なガード、攻守の切替の早さ、素早いポジション取りはアメリカが勝っていました。
 一流選手のプレイは真似出来ませんが、各選手の動きで参考になるところは多いにあります。現役の選手諸君も機会があれば日本リーグの試合も是非観戦して欲しいと思います。
<a href=”http://WWW.takakei-basket-ob.com/blog/archives/nakajima%20s47.jpg”><img alt=”nakajima s47.jpg” src=”http://WWW.takakei-basket-ob.com/blog/archives/nakajima%20s47-thumb.jpg” width=”300″ height=”188″ /></a>
㈱整理回収機構の札幌支店で活躍されている中嶋啓司さん(昭和47年卒)